Friday, November 27, 2009

Kern (2006)

説明の足りない論文の個所を修正中。

いろいろ読んできたけど、ていくか、去年の夏は、論文千本以上目とおしたけど、
振り返ると論文全体を支えてくれる気になるものは数本に絞られる。

その中でも、
Kern, R. (2006). Perspective on technology in learning and teaching language.
TESOL Quarterly, 40, 183-210.
は面白い。
最後のテクノロジー利用のイメージがずれるけど。

その中で、
“it is not the technology per se that is effective or ineffective but the particular ways in which the technology is used” (p. 188-189).

“In sum, the complexity of the issues involved in technology and language learning is pushing us to look beyond gross decontextualized measures of effectiveness to understand effectiveness in terms of the specifics of what people do with computers, how they do it, and what it means to them” (p. 189).

“Whereas early CALL research generally sought out relatively simple cause-effect relationships between human-computer interaction and learning, current research seeks to understand complex relationships among learners, teachers, content, and technology within particular social and cultural contexts” (p. 201).
といっている。

この3か所の指摘は、CALL研究の中で見逃せないことをいっていると個人的には思うのだけど、
なんかCALL研究の趨勢からはスルーされているような気がする。

でも、CALL研究ではかなり有名な人なのに、肝心のパースペクティブの部分が
スル―されるのには、それなりの意味があるんだろうと思う。
(結構、実践の部分では引用されている。Networkbasedの方)

それは、彼が実践にプラスされる分析の手法をペアにしてアウトプットを提示していないからではないか。

読み手の方は、実践の形にばかり目を奪われがちで、おいおい、実際に、それってどうやって分析するんだというところが分からないまま手を付けてしまう。(分析視点の猶予問題)

CALL研究って、結局テクノロジーの変化に引っ張られて、「こういうことが大切だよね」というコンセンサス=「パースペクティブ」がないまま、それを見る・図る・分析する方法=「学問の制度」を歴史的に積み上げてこなかったが故に、なんとかテクノロジーがあるからキラキラしてるけど、実は、学問体系としてはとても脆弱な基盤しか持たないことが、やっと、最近、はっきり、わかりた。
(これが、はっきり分かっただけでもいいか)

研究の存在理由が、常に外(外部環境=テクノロジーの変化)に存在して、
内的な基盤がないように思う。鉄筋の足りないマンション。
21世紀とは思えない教室環境。

そんな不幸な歴史のなかでも、師匠の師匠の、

とか、師匠の

の論文は、CALL研究(in Japan)の基盤づくりに貢献していると思う。

さらに、最近のCALL研究のもっと悪いことは、教室の外のテクノロジーの広がりが急速で、
唯一のよりどころであったテクノロジー利用の部分で、
「外国語教育におけるテクノロジー利用」という固定的な場面設定がとてもし難く、
力技で、仮になんとかそれを設定して切り出しても、何かとても不自然に感じてしまうことだと思う。
「~を使った効果的~」って、とても不自然に思いませんか。

さぁ~、そこで。。。。と解決策が見えないまま、ここから降りてしまえば楽なのだけど、
しぶとくしがみついて、「外国語教育におけるテクノロジー利用」において、
「こういうのが大事なんだなぁ」という実感を育てつつ、それをちゃんとレンダリングできる
技と方法を自分なりにつくっていくことだと思うこのごろ。

今のところの狙い目としては、仮に「実践的研究」(菅磨、2007)があったとして、
「こういうのが大事なんだなぁ」ということを説明できる変数を固定して、
刻々と変化する実践、A、A+1, A+2, A+3, A+N、を
(A+N)-A に変換し、その差分を固定して変数で説明することかと思っている。
これは次の研究に向けての現在進行形的検討課題。

(菅磨志保(2007). 媒介される知恵―実践的研究とは?『Communication-Design 2006:異なる分野・文化・フィールド 人と人のつながりをデザインする』(pp. 49-54)大阪:大阪大学コミュニケーションデザイン・センター)

みずもとさんんから紹介してもらった本を読む。

さて、論文の続きを書く。